お久しぶりです。(最近毎回この言葉から始まっている気がしますが・・・。)
夏の終わりが近づいていますね。私と言えば、この夏に限らず、連休中は一切仕事をしないと決め、自分の趣味や家族との時間に費やしていました。
思えば2年前のコロナ禍の夏あたりで、このブログを立ち上げました。誰かの何か役に立てればなあという軽い気持ちで書いていたのですが、お役に立てているでしょうか。
前置きはこれくらいにして、前回の続きを書いていこうと思います。が、この単元だけでなく、2学期以降のすべての学習につながるよう書いていきます。
前回の授業はこちらから!
2~4時間目あたりの授業展開
2時間目~ 問いを考える
まずは、2時間目にそれぞれが疑問に思うこと、考えたいことを挙げていった。前回のこまを楽しむでは、それぞれが出したものを比べ、重要度別に分け、取り組む順番について考えるきっかけとした。
今回は重要度については話さなかった。代わりに…
T「みんなの疑問はどんなものに分けられるかなあ。」
C「なんか、様子について書いてる人がいる。」
C「りいこについても多いね。」
C「というか、ほとんどりいこについてじゃない??」
T「ということはこの物語でみんなが一番考えたいのは?」
C「りいこについてだ!」
ここで、前回と違うことをした。
今回は、りいこについて考えることが多くなりそうだね。
人物について考えるには、何を読めばよかったっけ??
「話したこと」と「したこと」!
そうだったね。だけど今回はレベルを上げてもう一個考えて欲しいんだ。
場面が変わるとりいこは変わるかな??
そう、今回は場面の移り変わりという着目してほしいことを予め伝えてみた。自由に読み進めていくが、りいこについて、物語全体を通して考えて欲しかったのが大きい。
問いを見いだして考えるだけの学習では、人物について、物語全体について深く読み取ることが難しいと感じた。そこで最初に視点を与えることで、上の写真のように物語全体をとらえて問いを解決する子が増えた。
個別学習の課題
一方で、この学習を一学期間行って感じた課題もたくさんある。大きく分けると3つ。
共有することの価値
個々の学習課題に取り組むと、それぞれが学び、考える姿は見られる。一方、素晴らしい考えをもっている子、考えに詰まっている子がいても、それらが共有させるには教師の支援が必要である。
ただ、共有することを教師が促すだけでは、子供達は共有する価値を感じずに、形だけの話合いになってしまう。そもそも共有したいタイミング、内容はみんなバラバラなのである。
その打開策の一つとして、今回はpadletというブラウザ上の掲示板アプリを活用した。
1つの問いに対して考えたことを共有できるようにし、いつでも好きな時に好きな人の考えを見れるようにした。また、教師はここに書かれていることから、それぞれの子供達の実態を把握し、声をかけることもできた。
指導事項の定着
それぞれが思い思いに読み進めていることで、読むこと自体は楽しんでいる様子だった。だが、場面の移り変わりをとらえているかと言われたらとても怪しかった。そもそもそこに繋がりづらい問いもあったり、一つの問いに対してこだわりをもって考え続けていたりした。
授業である以上、指導すべきことはしっかり身に付けて欲しいという思いもある一方、自分たちで考え問いを見出だし答えにたどり着くことこそ、学習のあるべき姿のような気もして、もやもやする日々であった。
そこで取った手立てとしては、やはり子供達を深く見取るということだった。
ipadを活用し、一人一人の個票のようなものを作成して、それぞれがどのように学びを進めているか記録し、声をかけるということを続けた。
これにはかなり根気や覚悟が必要だと感じた。
例としては
- 一つの問いで詰まっている子には他の子を繋ぐ声掛けを
- 表面での理解でとどまる子には、叙述に立ち返る声掛けを
- 場面の移り変わりに着目しようとしている子には、それによりどんなことが分かってくるのかを言語化させる声かけを
などなど。
これに関しては、なかなかブログで伝えるのは難しいが、とにかく一人一人を見取って声をかけるということを続けた。
5時間目 みんなで学びたい!といった子
学びを共有する時間
さて、単元を始める前、子供達にどう学びたいか聞いたとき、「みんなで学ぶ時間も欲しい」という声があった。そのため、途中で学びを共有する時間を設けることにした。
りいこについて中心に考えつつ、今までで解いた問いについて、答えを出し合った。
こう見ると、なかなか色々なことを考えながら読めていたのかなとは思う。
場面分け、できごとの流れ、最初と最後のりいこの変容など、全体で指導していないが自ずとそれらを読み取りながら考えていたようだった。
この時間には共有以外にもう一つ、学びの保証という隠れた目的もあった。
読み取りが苦手な子、浅かった子もここで同じ土台に改めて乗れる時間になればと思っていた。(このやり方がそもそも良いのかはまた考えていかないと)
この授業の中心となったのは、りいこの気持ちの変容。
なぜその行動にうつったのか、なぜ気持ちが変わっていったのかということを子供達と考えていた。
新たな疑問が見出される、問い直しの時間
一通り全部話したところで、子供達と新たな疑問が生まれた。
「最後の最後で急にりいこの気持ちが変わっている」ということだった。
段々変わるのではなく、大きく最後の場面で変わっている。だがこれまでそのことについての問いはなかった。
え、なんで?となったところで、次時以降の見通しをもつ時間を取った。
教師が課題を提示するのは簡単だが、こうやって時間をかけて見出した問いは子供達にとってワクワクするものだったように感じる。ほとんどの子は次回の学習で新しく見つかった問いについて考えたいと見通しをもっていた。
6時間目以降
これ以降の学習については、4時間目までと同様である。子供達の最終的なゴールとしては、物語の感想を書くこと、それを最初の感想と比べて自分の読む力がついたかどうか考えることとなっていた。
今、この記事を書いているとき、手元に子供達の感想が無いので写真をのせることができないが、そのうち、どのようなまとめになったか載せてみたいと思う。
個別最適について今考えること
2学期がもうすぐ始まる。またそれぞれの単元で子供達の力を伸ばすため授業を考えていきたい。
今、様々な情報が簡単に手に入るようになり、手立て一つ、発問一つ、道具一つで議論になることが多い気がする。日本中、世界中の学校で日々授業が行われていることを考えると、ありとあらゆる手立てがあって当たり前であり、相手は人である以上、統計的な理論が通じないこともあるのが教育だと思う。
ただ、一つ言えるのは、授業の考え方、子供達の学習への取り組み方は以前より幅広く捉えられるようになり、できること、可能性は広がってきているのではないかということ。それを感覚だけでなく理論に沿って考えたり、統計からみて実践に移したりすることは大切だし、ある程度はこれが良くてこれがダメというものもあるのかもしれない。
ぜひ、私のこの記事も、数ある実践の一つとして参考にしながら、目の前の子に一番合った声掛け、授業を行えたらと思う。
個別最適、という以上、本当に一人一人を大切にするのであれば、主語は教師ではなく「子供」であるはずだし、それが実現できるように考えていくことは大切だとも思う。
2学期以降も自分の実践を出来る限りまとめていこうと思います。どこかの誰かの参考になればそれで幸いですし、同じ授業を行う身として一緒に学び続けて行けたらと思います!
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