夏休み、授業のことを考えている人は意外といるかもしれませんね。
1学期に方向性が固まった学校の研究授業は2学期以降に行われることが多いですよね。授業者となる人は、この夏に指導案を書いていることもあるのではないでしょうか。
ということで、今回は国語の学習指導案をどう書くか、私なりの考え方をまとめてみました。
あくまで、私の考え方ですので、この方法が合っているかどうか、ご自身のこれまでと比べてぜひ考えてみてください。
指導案の「考え方」~指導案とは~
面倒くさいなあ、指導案。でも…
さて、いきなりこんなことを書かれると、「そんなの知っている。」「もっと違う考え方もあるだろう。」という声も聞こえてきそうですが、今回は私の考え方で進めます、すいません!
さあ、指導案を書きましょう、となると聞こえてきそうなのは
面倒くさいなあ。
時間の無駄だなあ。
こんな形だけの指導案書く必要ないだろう。
という声ではないでしょうか。(そうであってくれると昔の私が救われます。)
学習指導案とは、読んで字のごとく、学習指導をこうします、という案です。
自治体によってある程度の型の違いはありますが、大体の指導案に書かれることは以下の内容です。
1時間の授業を行うために、これだけのことを書くとなると、大事だとは分かっていても、やはり面倒くさいですよね。
ただ、どの教科でも書かれる内容はそこまで変わりませんし、学年や校種によっても大差はありません。
ということは、45分の授業を考えるのに、これだけのことを頭に入れておかないといけない、ということの裏返しでもあると私は思います。
まあ、でも言われなくても当たり前ですよね。
どんな人になってほしいか考えずに指導はできないですし、何のために、何に向けてやっているのか分からずに取り合えず活動やらせる、何てこともできないですよね。
恐らく先生方は、指導案の形にはせずとも、常に上の6項目は頭に入れながら自然と授業を行っているのではないかと思います。
何のために書くか。~経験と理論を直感で越えていく~
じゃあ、常に頭に入れてできているのになぜ書くのか、ということです。
この部分は人から言われても、最後は自分が納得できるものにならないといけないと思います。
が、語弊を恐れず私個人の考えを述べるとすると、
普段、私たちは考えているようで考えられていないから
です。
気を悪くした人がいたら申し訳ありません。
ですが、試しに今の子供たちの実態を言語化してみてください。また、普段の授業観を言語化してみてください。
その児童の実態とは何を指して何を基準に考えているでしょうか。
その授業観は、誰の何から生まれているでしょうか。
常に目の前の子供たちのために考え続け実践し続けるのが、現場にいる先生方かと思います。
その先生方の実践は目の前の子にとって唯一無二の授業になっていることは間違いありません。
ですが、我々はその経験を基に語りやすい傾向にあると思います。
児童の実態とは、どのようなものを指すのか。本当に「国語が好きかどうか」に言及することは、今必要でしょうか。
その授業観は目の前の子に合わせたもののはずですが、その子たちが10年後社会に出るとき、どのような社会になっているか具体的な想像はありますか。その想像は何を根拠にしていますか。
というように、急に考え始めるとぐるぐる頭の中で様々な思いが駆け巡ると思います。
だからこそ、1つの授業をきっかけに自分の授業観や扱っている教材の本質、目の前の子の実態を捉え直し、言語化し、整理するのです。そして、改めて確認するのです。
授業がただのパフォーマンスになっていないか。
普段、考えているようで考えられていないことを言語化できるか確かめる
ために、指導案を書くのは効果的であると思います。
ここまでのお話を理解していただけたら、もうお分かりかと思いますが、
「本時の展開」だけ書いても、だめですよね。
逆にここまで考えられていると、ふとした時に「こうしたらいいんじゃないか」というアイデアが浮かんできます。これが「直感」です。
直感は思いつきのようで、これまでの経験と知識が深く関わっているものです。
これまでの経験と知識を言語化できるかどうか、とても大切ですね。
誰のために書くのだろう?
これは大きく2つです。
「自分のため」と「読む人のため」
書けば、思考が整理されて自分の授業がクリアになるので、自分のためというのは納得いくと思います。
ただ、それであれば体裁を整えたり、項目を揃えたり、単元計画を細かく書き込む必要はありませんよね。
私が大先輩から教えてもらったのは、
指導案は読み手への手紙
という言葉です。
自分の考えが明確でも、それを読んで授業を見てくださる先生にとっては初めてのもの。
その人が読みやすく、わかりやすく、そしてあわよくば「そうだよね」と共感してくれるような指導案を書きたいなと私は思っています。
初めて読んだ人にわかりやすく伝わるくらいまで言語化されているものならば、毎日関わる目の前の子供たちにも伝わっているはずです。
逆に、自分の中で完結して、他者へ伝えられていないものは、もしかすると子供にも届いていないかもしれませんよね。
そういった意味で、「自分のため」と「読み手のため」だと思っています。
指導案を書くために必要なものって…?
ここでは具体的な道具の話ではなく、用意しておきたいことについて述べます。
こんな人になってほしい~指導観~
私が授業を考えるうえで一番初めに考えるのがこの項目です。
少し前までは児童の実態からとらえて必要なものを、と考えていました。
ただ、それよりも、どんな世界で、どんな人として生きてほしいかを考えた方が、すべての授業が繋がってくると思い、今は指導観を最初に考えています。
自分の指導の支えになる根拠
指導観を考えるとついつい、目の前の子の実態や、これまでの自分自身の経験などをよりどころに考えてしまいます。
こうだろう、と感じるそれは、教師としての「直感」です。
ただ、そこで考えている内容は間違いなく、これからの世界にも必要なもののはずです。
そうすると、その考えの根拠となる研究や答申、有識者の見解も必ずあります。
ぜひ、自分の経験から生まれた指導観を、さらに確実なものとして自身をもって発信していただきたいと思います。
ここで武器として考えの根拠を見つけると、この後書く単元の具体的な指導が全て指導観に繋がります。
ちなみに私は、1年間の研究をスライドにまとめておいて更新していく、という手を使っています。
そうするといきなりには無理でも、徐々に情報や考えが集まって、より強固なものになっていく実感がありました。下はその「考え」の部分と「根拠」の部分の例です。
ここまでのまとめ
さて、ここまで指導案を書くにあたっての考え方部分を述べてきました。
後半の記事では具体的にどのように書いていけばよいかまとめていきたいと思います。
これを読んだ方が「楽に書ける」ことはないと思いますが、
これを読んだ方が「自信をもって書ける」ようになる助けになれたらいいなと思います。
それでは後半も、ぜひ読んでくださいね。
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