考え方

国語を教えて何がしたいか・・・。

考え方

新学期が始まり、なかなか更新する余裕がない。というのは言い訳かもしれないが、とにかく忙しい。

色々あるけれど、直近で忙しい原因は、研究に向けての指導案作成と、そこに向けた授業準備。そして、何とか実現させたい宿泊学習の準備、提案。

さて、休日だが指導案を書きながらふと思ったことをつらつら書いてみた。

国語が嫌いな教師

はい、私です。国語嫌いでした学生時代。なぜかって?それは算数と違って「曖昧」な教科だという認識が強かったから。

算数は「5+6=11」とあれば、少なくともこの式の上では答えが10になることはない。9でも7でもなく11が答え。これは誰にも変えられない。

対して国語(当時私が受けていた授業)では、「物語を書きましょう」という課題に対し、「ハッピーエンドでなくてはならない」という決まりもないし、書き出しの言葉も決まっていない。なのに作品の良し悪しがあり、成績が付くのだ。意味が分からない。なので教師になるまで大嫌いだった。

(自分では頑張っているつもりなのに、何ができれば良いのか明確でなかった。)

国語で伝えたいこと

さて、そんな私が教師になって国語を教えることに興味を持ったのは、こんなことを考えたからだった。

世の中は言葉でできている。

例えば、友達とつながるためには「会話」をする。より親密になるには言葉を選んで伝える。感情を言葉で表現する。感謝や謝罪を言葉で伝える。

仕事をするには「提案」をし「報告」をする。言葉でアピールをし、研究者でもサラリーマンでもその実績は言葉で残されていく。(文書だろうと伝聞だろうと)

アーティストは言葉なくして表現するが、その表現を広めるために言葉を用いた「宣伝」をする。それにより芸術が広がる。政治は言葉による「議会」で進む。

何が言いたいかというと、「言葉の力」を身に付ければ、ありとあらゆることを実現できるのではないだろうか。もっと言えば、言葉の力があれば、人は「幸せ」に近づけるのではないか。

それを直接身に付けられるのが「国語」であると思っている。

私は国語の力を大きく

①受け取る力

②思考する力

③発信する力

の3つに分けて指導していきたいと思っている。そして、生きていく中で特に重要なのは③発信する力ではないだろうか。嬉しい時も悲しい時も、困った時も挑戦したい時も、誰かに助けを求める時も、自分の思いを「発信する」ことができる人。そして、共に生きていける人。

そんな子に育ってほしい。そんな可能性が「国語」にはあると信じて、今日も指導案作成をしてきます。疲れをごまかす息抜き投稿でした。

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