授業3年生

3年生「こまを楽しむ」1時間目 学習課題を自分で見つける授業

授業

さて、5月も半ば、色々な行事がある学校もそうでない学校も、そろそろ最初の疲れが見え始める時期。

GW明けからのリスタートで学級の雰囲気がうまくつかめたでしょうか。

6月は落ち着かなくなる時期だとも言われています。

この5月で授業を通して子供たちの心をガッとつかみたい、そう思う今日この頃です。

今回は説明文の学習です。張り切っていきましょう。

この記事を読んで分かること

  • 説明文の導入
  • 子供達を学習へ向かわせるための手立て例
  • 「こまを楽しむ」の実践例

今回は今までとちょっと違った授業の進め方をしています。賛否両論だと思うが、誰かの参考になれば幸いです。

導入 説明文て何?

説明文とはどんな文章?

さて、みなさん。説明文とはどのような文章のことだろう。物語文との違いは?

細かく挙げると色々あるけれど、とりあえず子供に尋ねてみる。

T「説明文て、なあに?」

「こまを楽しむ」説明文とは?

C「何かを説明する文章」

C「なんか、やり方とか書いてあった。」(うまのおもちゃのことかな?)

C「詳しく書いてある文章。」

T「じゃあ、物語みたいに主人公はいるんだ?

C「いない!!」

T「そうなの?作り話じゃないの?」

C「違う!事実が書いてある!」(よく出てきたな、事実という言葉)

C「主語が筆者になってる。」(正確にはそうとは限らないけれど、この考えが出るのがすごい)

なんていうように、説明文とは何かをまずは押さえる。

私は、学年に合わせて言い方は変わるが、説明文とは

「筆者が、自分の伝えたいことを、あの手この手を使って、納得してもらおうとする文章。」

と言っている。

筆者が文章を書く意図はもともとある。ただそこに賛同を得るために、様々な表現の工夫を凝らしている。本もそうだ。言いたいことは明確だが、それだけ言っても誰も納得しない。

だから、例を挙げ、事実を伝え、反例や根拠を示し、あの手この手を使うのだ。

説明文を学ぶと何の力がつくの?

さて、ここまでで、説明文が何かは押さえたが、もう一つ。

yuuh先生
yuuh先生

説明文って、勉強すると何か力がつくのかな?

2年生までの学習を思い返してみる。

C「書いた人の考えが見つけられる!」

C「書いてあることについて知れる。」

C「説明できるようになる。」

T「ん?読む授業なのに説明ができるの?」

C「うん、読んだことを伝えたり、読んで考えたことを伝えられるようになる!」

などなど、去年までに学んだことや自分が考えていることをいくつも挙げてくれた。

印象的だったのは

「読むこと」によって「せつめい(話す)すること」や「書くこと」に繋がるという意見だった。

私も日頃同じことを考えていたので、これが出てきたのは驚き。

展開 単元のめあては「自由」!?

何を学びたいか子供たちに問う

yuuh先生
yuuh先生

さて、君たちは今回の授業ではどんな力をつけたいのかな。ちょっと考えてみて。

ここからが本単元の学習。まず、子供達には「こまを楽しむ」を読むことで何を学びたいのか考えさせた。普段から「国語の力」と称して身に付ける力を言語化してきたので、意外と8歳の児童でも何を身に付けたいかポンポン出てきた。

ここでポイントにしたのが

「主語、述語を身に付けたい。」「説明が書けるようになりたい。」「一つのことについて詳しく知れるようになりたい。」など、一見すると説明文の学習にかかわりが無いような内容でも否定しないこと。

子供達の中には自分の課題にしっかり意識を向けて学習している子もたくさんいる。その子にとっては今一番身に付けたい力がそれなのだ。

「説明文の学習なのだから、〇〇指導事項を身に付けさせなければならない。」

というのは教師側のエゴであると思う。

もちろん教師たるもの、子供の力を伸ばす責任はあり、指導要領の内容を教える責任はあるが、それらをいつ、どのように身に付けさせるかは、もっと柔軟に行える。

単元のめあて「自分で身に付けたい力を考えて説明文を読む」

例えば、主語、述語について身に付けたい子は、自ずと文章の中の主語がだれで、何を述べているかを考える。するとその文章の意味について考える。そこで教師が、「なんで筆者はこんなことを書いているのだろうね。」と個別に問うてあげればよい。そうするとその子は考え始める。そして再び文章に戻り、別の文章の主語と述語を考え始める。

一つのことについて(今回ではこまについて)詳しくなりたいという子には、とことん調べさせればよい。その上で筆者がこまについて説明している内容に目を向けさせてあげればよい。

「なぜ、たくさんあるこまの中からこのこまたちを例に選んだのだろうね。」と。

「なぜ、つくりまで書いてあるのだろうね。」と。

そうすれば子供達は考え始める。

そして調べたこまについて自分で説明するならどのようにするか考え、段落に目が向く。

国語の力を身に付けさせる考え方

生きて働く力を身に付けさせるためには、授業の中で使える力を育ててもしょうがない。

文章中の言葉に立ち返ったところで、その行為に意味が無ければ、身に付かない。

子供達が「こんなことできるようになりたい。」「こんな学習をしてみたい。」という思いを出発点に読み進めれば、「段落」や「はじめ、なか、おわり」「主張は最初や最後」なんて全員に黒板を使って説明しなくても自ずとそれらしきものにたどり着く。

ただ、教師の意図ではなく、自分の意志で学ぶので、子供達の学びには終わりがない。

だから、授業の終わりになると必ず言う言葉が

「もっとやりたい!!」「先生、次の時間も国語にしましょう!」になる。

子供達の学びの成果物の例

さて、まだこの単元は現在進行中で終わっていないのだが、上記の方法でチャレンジしてみた結果、子供達がどのような学びを進めているか、一部を載せようと思う。

TODO とりあえずのalt
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児童の1時間の学び

私はこれらを学んでいる途中に声をかけ、その子に合った質問や問い返しをしていた。

どんな手順を踏んで、どのような声掛けをしてここに至っているかは、次回以降の記事で説明していきたい。

終わりに

今年で、8年目。

今担任をしているのは初任者ぶりの3年生。8年前と比べると何だか感慨深いものがある。

あの頃はあの頃で必死だった。

今は今で何が正しいか模索しながら、やはり必死である。

きっとまた8年後はその時の場所で必死なのだろう。

そんな私の今考える一番の学習は、「子供に教える」のではなく、「子供と一緒に学ぶ」ことになった。

これが正しいのかわからないが新しい可能性が見える授業になっている。

実践に関する御意見、御感想、御質問がございましたらこちらから。

次回もお楽しみに。

(先日、海外に住む方から嬉しいコメントを頂きました。誰かのためになっているとしれてとても嬉しかったです。)

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